周南コンビナートの起源は、明治時代に旧海軍の石炭燃料基地が設けられたことまでさかのぼります。
明治37年2月に勃発した日露戦争に対処するため、海軍は煉炭製造所設立を決定しますが、山口県内の適地の中から優れた港湾条件が特に評価され、明治38年4月に海軍練炭製造所の徳山設置が決定しました。
徳山が候補地にあげられたきっかけは、徳山出身の陸軍大臣児玉源太郎の尽力によると伝えられています。
大正10年には、海軍煉炭製造所の改組拡張により、煉炭部・製油部・研究部等から成る海軍燃料廠が開庁、海軍の軍需用石油精製成拠点となりました。
大正7年、岩井勝次郎氏によって、現在の(株)トクヤマの前進、日本曹達工業が進出しました。これが、現在まで続く周南コンビナートの先駆けとなりますが、その後、日本曹達工業は、徳山曹達と社名を変更し、現在の(株)トクヤマになりました。
また、東ソーの前身となる東洋曹達は、昭和10年、日本曹達工業の工場長でもあった岩瀬徳三郎が退職して、隣町である旧新南陽市に設立しました。
国内のソーダ事業の先駆者である岩井勝次郎氏と岩瀬徳三郎氏によって設立された両社は、それぞれソーダ事業に取り組み、ともに新たな分野にも事業を拡大しながら、共に周南コンビナートを形成し、世界的な企業へと成長しました。この国内のソーダ事業を代表する東ソー(株)と(株)トクヤマが、いずれも周南市で創業したということは、周南コンビナートの大きな特色となっています。
第二次世界大戦の大空襲で徳山海軍燃料廠は壊滅しましたが、出光興産が、その跡地の払下を受け、昭和31年に当時日本最大規模の徳山製油所の建設に着手し、周南石油コンビナート形成の口火を切ることになります。続いて、日本ゼオン徳山工場が操業を始めました。
その後、昭和39年にはこの地域が、「工業整備特別地域」に指定され、重化学工業の拠点としての本格的な整備が進むとともに、周辺・隣接地域においては輸送機械をはじめとする多様な産業が展開してきました。
また、徳山下松港は、昭和40年に特定重要港湾に指定されました。
以上のように、わが国のコンビナートの中でも特に長い歴史を有する周南コンビナートは、港湾の発展と密接に絡みあいながら発展してきました。
(参考文献:中国地方の工場立地130年の歩み)